竹屋の渡し 隅田川を渡ります | 大江戸探訪 山谷堀をめぐる

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竹屋の渡し碑

山谷堀口から隅田川をはさんで向かいの三囲神社(みめぐりじんじゃ)の前辺りまでを結んでいました。

竹屋の由来はこの近くに竹屋という船宿があったことからそう呼ばれているようです。

江戸の初期は隅田川に架かる橋はこれよりも上流の千住大橋。時代を追っていくつか橋が架けられましたが、近くにはありませんでした。吾妻橋の架かったのも、千住大橋が出来てから180年後の1774年になります。その前に両国橋が1661年に架かりますが、橋を渡って向こうへ行くのは大変なこと、渡し舟は江戸の人々には重要な交通手段であったことが想像できます。

日本堤ポンプ所放流渠の内側

水門の上から対岸を望む風景です。正面少し右辺りが三囲神社になります。

当時はこの辺りの風景はどんなものだったのでしょうか。そんな昔の様子を想像しながら隅田川を眺めて見ると、いつもと違って見えるような気がします。

水門

隅田公園内には、上の石碑とこの案内板が建っています。

この前は広場になっており、キャッチボールをしたりする人がちらほらと見受けられます。

竹屋の渡し(たけやのわたし)

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