蛎殻銀座跡 江戸唯一の歓楽街でした | 大江戸探訪 日本橋をめぐる

蛎殻銀座跡 銀座制度の大改革 | 大江戸探訪 日本橋をめぐる

寛政12年、銀座制度の大改革を実施
銀座を幕府直営の事業とし
銀座の貨幣鋳造は江戸のみに限らた
銀は金貨の補助貨幣として位置づけらた

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蛎殻銀座跡

江戸の銀座は慶長17年(1612年)に今の銀座2丁目の場所に置かれ、その188年後の寛政12年(1800年)6月に、寛政改革の一つである銀座制度の大改正のため一旦廃止されました。その年の11月、改めてこの人形町の場所に幕府直営の度合いを強めた銀座が再発足しました。当時この付近の地名が蛎殻町だったため、この銀座は人々から「蛎殻銀座」と呼ばれ、明治2年(1869年)に新政府の造幣局が設置されるまでの69年間存続しました。(案内板より)

当初、銀座は江戸、京都、大坂、長崎に開設されていましたが、幕府は銀座の統制を次第に強め、鋳造作業は江戸一カ所に集中させ、また、幕府御用達町人による請負により運営されていたものが、1800年の銀座制度の大改により幕府直営となりました。この改革の後、銀貨は金貨の補助貨幣として位置づけられ、他貨幣との交換その他まったく金貨と同様に扱われるようになりました。

人形町

銀座があった辺りは現在の甘酒横丁の交差点から西側にあたり、今ではオフィスビルや飲食店などが立ち並び、その面影はありません。通りにはカラクリ時計などが建てられて、当時この辺りが歌舞伎や人形芝居で賑わっていたことを思い出させます。

蛎殻銀座跡(かきがらぎんざあと)

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