人形町 江戸唯一の歓楽街でした | 大江戸探訪 日本橋をめぐる

人形町 江戸唯一の歓楽街でした | 大江戸探訪 日本橋をめぐる

北には町人の町、南には大名屋敷が並び
この界隈では人形芝居が催され
江戸二座の歌舞伎が上演されました
江戸初期は唯一の歓楽街でした

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人形町の由来

案内板には次のように紹介されています。江戸が開府され20年ほど過ぎ、現在の人形町交差点北側一帯には江戸唯一の歓楽街が在り大変な賑わいでした。大芝居の中村座と市村座の江戸に座では歌舞伎が上演され、また人形操り芝居、浄瑠璃芝居、見世物小屋が軒を並べ、それに携わる多くの人形師達がこの街に住んでいたことから、江戸時代から俗に「人形町通り」と呼ばれ後に町名になりました。正式に「人形町」という町名が付いたのは関東大震災以降の区画整理で昭和8年になってからです。

またここには江戸幕府公認の遊郭・吉原がありました。慶長17年 (1612年)に、娼家を一ヶ所に集め、廓を作り風紀を取り締まろうと生まれたものです。明暦の大火(明暦3年,1657年)の大火で廓のほとんどが焼失し、その後浅草に移ってしまいます。

参考…吉原大門(見返り柳)

参考…浅草猿若町 一大芝居町

鯨と海と人形町

写真は松橋博氏,中田浩嗣氏作「鯨と海と人形町」の彫刻です。

その案内板によると、あやつり人形のバネは今でも鯨ヒゲが使われています。特に人形浄瑠璃から伝承された文楽人形の命とも言える精巧な首の動きは、弾力に富んだ鯨ヒゲでなければ出せないそうです。

昔から日本人にとって鯨は大切な存在であることがうかがわれます。

人形町(にんぎょうちょう)

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