金座跡 今は日本銀行本店です | 大江戸探訪 日本橋をめぐる

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慶長銀行を発行し金銀貨を全国統一
金貨の鋳造を幕府から独占的に請け負った
貨幣鋳造組織です
今は「日本銀行本店」が建っています

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日本銀行

江戸時代において金座は、大判を除くすべての金貨の鋳造を幕府から独占的に請け負った貨幣鋳造組織でした。

慶長元年(1596)頃、徳川家康の命に従い、後藤庄三郎光次は江戸に赴き、本町1丁目(現在の日本銀行本店敷地)に居を構えました。当初は、武蔵墨書小判とよばれる金貨を鋳造させましたが、その後、慶長6年(1601年)に慶長小判、一分金、大判、丁銀、豆板銀を制定し、小判座(後に金座と呼ばれる)を開設、慶長小判、同一分金の鋳造を行わせました。慶応3年(1867年)大政奉還に伴い、明治元年(1868年)に明治政府は金座を接収し、その後明治2年(1869年)に金座が廃止されました。

江戸地図 金座辺り

当時の地図にも金座が記されていますが、金座は江戸のほか、京都、佐渡、駿河にも開設されました。その後、変遷を数度のを通して、「江戸金座」が開設され、京都小判座、佐渡小判所は江戸金座の出張所として位置づけられ、京都金座、佐渡金座となりました。

徳川家康により統一された貨幣が発行されるまでは、質の悪いものが多く流通し、領国ごとに質的に差があり、取引に支障をきたしていました。そのため質的、制度的に貨幣の統一が求められていたことがうかがわれます。

江戸時代の貨幣

日本銀行の横には貨幣博物館があり、ここでは古代から現代までの様々な貨幣や資料、海外の貨幣が展示されています。入館料が無料なので時間がある時には一度見学してみることをお勧めします。

江戸時代(19世紀前半)のモノの値段例(貨幣博物館資料より)
醤油1升:83文, 柿1個:6文, 草履1足:12文, 髪結:16文
酒1升:200文, 鮭1本:250文, 長いも1本:108文, そば1杯:16文
町方奉公人賃金1年:男性2両/女性1両 

1両は4000文でしたので、今と当時とでは物量や輸送手段、価値観等もだいぶ違ったものだったと思われますので一概にこうだとは言い切れませんが、当時の物価や労賃がこんなものだったんだな〜とイメージできるでしょうか。

金座跡(きんざあと)

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